・・・多分、私は卑怯者だ。
 傍観を決め込み、二人のにらみ合う姿を眺めているだけ。
 果たして自分はどちらが大事なのだろうか、といまさら思う。
 忍か。
 竜胆か。
 それを決めるため、私はようやく、崩れた二人の間に降り立った。
「雫・・・・・・?」
 茫洋とした妖しい目で私を見てくる。
 やめて、そんなの、私に向けないで。
 私が崩れる・・・!
 私は振り切り、すっかりくたびれた天井を見つめた。
「ほら、さっさとトドメさしなさい。そして食らい尽くしてやりなさいよ、私の妹を・・・・・・」
「・・・・・・っ!」
 竜胆の嘆息が聞こえた。
 なぜ知っているの?と言わんばかりに。
 そう、私は知っている。少し前に牡丹を使って調べたのだ。彼女が忍を付けねらう理由を・・・。
 なぜ竜胆は忍を狙うのか。答えは単純だった。
 本来の力を取り戻すため、いや、生きるために忍者の血肉を口にすることが必要だったのだ。
 おまけに初めのうちは私を、この斧の中から狙っていたらしい。ずいぶんと命知らず。
 そして今、彼女の命は尽きかけている・・・。それだけは分かる、いくつもの死を見てきた私にとって、それだけは・・・・・・。
「ほら、生きてみなさいよ」
 私は視線を下ろして竜胆を見た。
 彼女は・・・笑っていた。
「貴女はいつもそうやって私を苦しめるのね・・・・・・」
「苦しめるも何も、私は事実を言っているだけ」
 そう言い、竜胆に顔を近づける。
 きっと表情はいつもより険しい。
 出来ることなら笑顔を向けたい。
 だけど・・・・・・。
「出来ることなら、私があなたの息の根を止めたいけど・・・・・・」
 ・・・それもまた本音だ。このまま行けば竜胆は死ぬ。
 だから、だから運命が彼女を殺す前に、私がその命を奪いたい。
「雫に殺されるなら私、とても本望」
 か細くなった竜胆の声が響く。
「・・・全て・・・愛しかった・・・」
 ・・・・・・言わないで。
 私の少女を引っ張り出さないで・・・。
「殺すには惜しい性格してるわね・・・・・・」
 私は気持ちを押さえ込むようにつぶやいた。
「そう、それでも・・・・・・」
 竜胆が言う。すると、繊細に見える指が耳元へと伸びた。そこにあるのは羽毛。竜胆の指は、ブチブチと音を立ててそれを引き剥がした。
「限界だとても言うの・・・・・・?」
 聞くまでもないのに、私は訊ねた。・・・いや、きっと信じたくないのだろう、その事実を。
「見て、雫」
 言われるがままに視線を移す。
「今の私、人間みたいでしょう・・・・・・・」
 ・・・ええ、間違いなく見える。
 だけど、竜胆はそんな下賎な生き物じゃない・・・。
 それなのに、それなのに・・・・・・。
 どうしてそんなに、幸せそうに微笑むのよ・・・!
「・・・キレイ、じゃない・・・!」
 そう言い、竜胆の頬に手を当てる。
 瞼が一瞬だけ熱くなった。
 危うくこぼれそうになる涙を、私は必死に止めた。
「珍しいこともあるのね、褒めるなんて・・・・・・。」
 竜胆の手が重なる。とても冷たい。
 その手が、その微笑が、私の決断を鈍らせる・・・。
 だけどそうもいかない。
 私はちらりと忍を見た。美夕の腕の中で、死神の訪れを静かに待っている。
 ・・・それだけは、それだけはいや・・・。
 私の大事な妹。少なくとも目の前で失いたくはない・・・。
 今触れている妖美の残り火を奪い、与えれば助けられる。
 だけど、そうするとこっちの「大切」は・・・!
 こんなジレンマ。千年以上も生きていて初めてだわ・・・。
 いろんな感情がこみ上げて来る。
 その中から妙案が浮かび、私は1つしかない視線を竜胆へ注いだ。
「・・・ねぇ、竜胆」
「・・・何・・・?」
「残りの力、私に預けてくれない?」
 ・・・忍を救うために。
「私があの女を助けるために・・・?」
 竜胆の顔がこわばった。
「嫌ならいいのよ、どうせ一人になるだけだから」
 私の言葉に偽りはない。
 彼女がここで拒否するのなら、私はそれに従う・・・。
 そして無理やりにでも忍の命を与えて・・・。
「それは脅しよ、雫」
 ぴしゃり、と竜胆が言う。
「こういう言い方しか出来ないのよ、悪いけど」
 そう、奇麗事を並べられるほど、私は器用じゃない。
 しばしの沈黙がこの小屋を包む。
 だけど聞こえる、命の音が。
 弱りきった二つの命が。
 悲しみに震える一つの命もある。
 そして何より。
 不器用すぎる私の命も・・・。
 やがてそれらを打破するように、竜胆の声が木霊した。
「いいわ。私の命をあげる。・・・悔しくてたまらないけど・・・」
 ―貴女の記憶に残りたいから。
 竜胆の言葉はあまりにも素直すぎて、ナイフのように私の胸を刺し貫いた。
 具現化するように、呪傷が呼応して痛みを生む。
「ありがとう」
 私は心の底からその言葉を搾り出した。長年使っていなかった言葉を。
「ああ、そうだ。チビ・・・・・・」
 と、竜胆は美夕に向かって手招きをした。美夕は忍の身を、その幼い体で引っ張りながら彼女の方へと近づいた。
「巻き込んで悪かったわ」
 そう言い、耳を掻く。思えば彼女の手癖だった。
「まっすぐなところ、大嫌いだったけど、その瞳は嫌いじゃなかった。私も貴女みたいな一途さがあれば・・・なんてね・・・」
 ポン
 私から離れた手が美夕の頭に乗る。美夕は・・・ぼうとして言葉が出てこないみたい。
 普段は忍に負けるとも劣らないほど元気なクセに・・・。
「待たせたわね、雫。どうぞ」
 唐突に呼ばれ、私は少しドキリとした。
 不意に聞こえると心臓に悪い。・・・そのくらい、彼女の声は魅力的。
 私は片目を細めて竜胆を見つめた。
「何か言い残したいことはある?」
 粗雑な言葉。最後の問いだと言うのに、私はどうしてこんな風にしか言えないのだろう。
 だけど竜胆はしっかり受け止めてくれて、私に言った。
「貴女を愛している。それだけよ・・・・・・」
 ・・・っ。
 その言葉を待っていた。
 私もそれを言いたい。
 もう一つ、「ありがとう」って言いたい。
「・・・私も・・・」
 言葉が詰まった。
「・・・他人としては、ね・・・」
 最悪。
 ここまできてちゃんと言えないだなんて・・・。
「・・・忘れられない存在に・・・なったわよ・・・」
 あまりにもの悔しさに、私ははき捨てるように言ってしまった。・・・今思えばこれで良かったのかもしれない。
 だけど、だけど一緒に流れた涙だけは・・・取り消したかった。
「また泣かせてしまったわね・・・・・・」
 私は無言で首を振った。そんなことない、と。
「・・・どうか貴女が幸せであるように・・・祈るから・・・」
 ゆっくりと紡がれるその言葉をもっと鮮明に聞きたい一心で、私は顔を近づけた。
「一つだけ聞いてもいいかしら・・・?」
 竜胆が囁く。私は小さく頷いた。
「今、この瞬間、雫の中には誰が存在しているの・・・・・・?」
 ―過去?
 ―忍?
 ―私?
 あまりにも簡単すぎる問いだった。
 過去なんて、竜胆との思い出で色褪せ、今なんて、忍のことさえも忘れている。
 そう、だから、だから・・・・・・。
「私は・・・・・・」
 ・・・今もこの先も、きっと貴女しかいない。





 神社の瓦の上で昼寝。
 久しぶりに訪れた暇を、私は私なりに存分に楽しんでいた。
「忍さん、買出しの当番ですからよろしくお願いしますね。あ、美夕ちゃん、たまには境内だけじゃなくって階段も掃除してください。葛葉さんは影狼さんと市中見回りで、桜駆君は私と『いいこと』です」
「病み上がりにイキナリなにそれ!」
「元気じゃないですか」
「みゅ〜・・・ここの階段、無駄に長いからキライです〜・・・」
「健康に良いんです」
「なぁーんでこんな粗暴の塊と組ませるかな・・・」
「評判良いですから、上の人たちに」
「俺は構わない、むしろ希望」
「なら決まりですね」
「えっと、俺は・・・」
「拒否権はありません」
 相変わらず見事な統括力の黒巫女。
 丁寧な物腰と澄んだ声で言っているあたり、今日は『ご機嫌麗しゅう』みたい。
「あと雫さんは・・・雫さん?」
 ・・・・・・っ。
 巻き込まれる前に、私はさっさと森の中へ逃げ込んだ。
 そして適当な大木を見つけ、太い枝に身を任せた。
 おそらく、私と同じくらいの月日を生きているのではないだろうか。
 変わらない緑の匂いに包まれながら、私は瞼を閉じた。
 映るのは闇。その中に一つ華がある。
 この瞬間が、なんだか・・・幸せ。
 こうして思い出せる思い出があるって、ほんと幸せ。
 ・・・だけど、今日は長くは続かなかった。
「しずくぅー」
 けたたましい声が私の安らぎを冷ます。おまけに顔に圧迫感。何かが乗っている。
 私はそれをどかして、重みの正体を見た。
 刹那、私の目が点になった。
 先ほどまで瞼に映っていた華とよく似ていたからだ。
 一言で言えば薄い桃色の羽毛をまとった美の結晶。
 だけど、だけど目の前にいるのは何かが足りない。
 ・・・あ。
 身長だ。
「あんた、竜胆の何なの・・・!?」
 無垢なその子の笑顔に、私は険しい顔で訊ねた。




戻る