久しぶりの大立ち回りは私立神代高等学校であった。現在、私たちはこの近くにある神社で時の流れと鬼獣の発生を感じながら暮している。
 この建物の屋上、あるいは少し離れた場所にある大きなホールが私と鬼獣の決戦場となっている。この建物が落成してから、ほとんどずっとだ。
 高校という土地は不思議と鬼獣がよく生まれる。
 今の世において心が不安定な年頃の人間が集められているからかもしれない。
 それを言ったら、今の私もだけど、ね。
 今、私はその屋上で不甲斐無くもピンチに追い込まれていた。
「ぐぅうう・・・!?」
 背後を呆気なく奪われ、背中を引き裂かれた。
 蟷螂と人間が融合したような鬼獣。その口元は薄い笑みを浮かべ、複眼に変化した目で倒れた私を見下していた。
 肩の付け根から命が噴出す感覚を覚える。久しく味わったことの無い激しい出血だ。
 ずいぶん前に本能寺で戦った化物武将を思い出す・・・。
「綺麗ね、雫さん。まるで天使みたい」
 かつてこの学校の生徒だった少女の声が響く。
 覚えが確かなら、気の強い少女だった。
 弱きを助け、強きを挫き、多きに負け、少女としての全てを奪われた少女。
 確か牡丹に相談していたっけ。
『後悔はしてない。だからこそ息をしているあいつらが許せない』
 少女の正義が転じた復讐心。
 その末路が呼び寄せた鬼獣は、少女の純潔を破り捨てた少年たちに手を出す前に、少女と一つとなっていた。
 何故そんなことがわかるかって?
 少女がそうしていたのよ。
 少年たちの目の前で自ら鬼獣と一つになり、恐怖や驚愕で動けなくなったところで首を斬ろうとしていた。
 それを遮り、少年たちを逃がしたまでは良かった。
『雫さんは、そいつら許すの? 私をこんな風にしたそいつらを・・・』
 その少女の言葉が胸を貫き、腕を止めさせた。
 おかしい、いつもなら、この一言で一蹴してやるのに。
― そう思うなら、その辛さを支えられる強さも、支えてくれる人もいなかった人に言いなさい!
 そうだ。
 自分も仲間も頼れず、彼女自身が信じた正義に依存しすぎてただけ。
 強いと信じた心が、実は砂の城だけだったに過ぎない。
 それなのに。

 何故、私は戸惑ったの・・・?

 背中から血が吹き出るのを感じながら、私は想いをめぐらせていた。
 地面を通して頬に伝うほど、量が多い。多分、丸一日は動けない、かな。
 覇人となった私にとって、千年前から死は遠い存在だ。
 人の世が終わるか、心臓と頭を同時に壊されない限りは世に言う不老不死。
 だからこのまま死ぬってことはないけど・・・何故だろう・・・。
 戦う意志が沸いてこない・・・。
「冷たそうな髪・・・」
 不意に少女の刃と化した手が、私の髪をかきあげた。
 ・・・まさか!
 やめて、触らないで。
 殺されてもいいから、その手で、その刃で触れないで・・・!
 だけど訴えは言葉にならず、当然のように髪は切られた。
 不意に吹き荒れた風が、私の髪を、私の血に浸した。
「短い方が似合うのね・・・」
 ぐっ・・・、うぅ・・・!
「泣いているの? 戦士様が泣いているの?」
 ・・・泣いて何が悪いのよ。
 私にだって、泣くときぐらい・・・!
 意識が暗転したのは、ちょうどその瞬間であった。

 ◇

 ◇

 ◇

 眼が醒めた時、私は薄暗い場所にいた。
 ジメジメとして、蜘蛛の巣が生い茂り、カビ臭さが漂う木材の上だった。
(ここは・・・)
 辺りを見回してすぐ、一筋の光を感じた。
 私はその光を追い、視線を合わせた。
 一瞬だけ、太陽と見違えるほどの明るさが眼の黒いところを刺した。
 それを越えた先に見えたのは、あまりにも懐かしい光景であった。
 私に討たれ、命が途絶えたはずの妹とその親友が、そこにいた。
 それだけならば、記憶にも残らない夢に過ぎない。
 しかし、この夢はあまりにも鮮烈過ぎた。
 三人目の存在がそうさせた。
 はらりと舞う桜色の翼を背負う美しき獣。
 その名は竜胆。私が唯一、思い出ではない、心に名を刻んだ者。
 彼女は、そう、彼女だ。そして私も彼女。
 互いに永い時を生きているからこそ、そして別の時を歩んだからこそ通じ合えた、人の形をした獣。
 そして、人よりも人らしい心を持っていた獣。
 今見ている瞬間は、私がそれに気づく前の瞬間だ。
 それは妹と竜胆、互いの意地を賭けた戦い。
 愛すべき親友を弄ばれた妹の怒りと、例えがたい竜胆の一念。
「いいじゃない。それがあなたの見る最後の華、と思えばね」
 その竜胆の一念が今更ながらよく分かる。
 それだけに、私は当時の私を憎んだ。
 どうして早く気づいて上げられなかったの、と。
 私の悔やみなど構うことなく、過去の時は進む。
 妹の大劣勢のまま。
 しかし妹の真の力を、私は知っている。
 内に秘めた強力な鬼獣の力を。山を食らう、とまで称されるほどの金剛力を。
 さらに、今、目の前にいる竜胆がマトモな状態じゃないことを知っている。
 それを感じた過去の私が、愛用の斧を握り締め、すぐにでも飛び出そうと構える。
 いつの間にか私は過去の私と同化していた。
 そして囁いた。
(どうしてそんなことをするの? 2人は私が現れることをきっと望んではいない)
「うるさい、過去の私ごときが、今に意見しないでよ!」
 過去・・・ええ、そうね。
 過去の私も、そう言うに違いない。だけど未来の私だって、それを願っている。
 2人の決着を。
 それ以外に道は無い。特に竜胆には悲しすぎる結末しか残されていないのだから。
 私の言葉に躊躇した直後、天井の下から妹の声が届く。
「そんなに強いのに、どうして人質を取る必要があるのかな」
 それに対する竜胆の答えを、私は覚えていた。
「愛しい存在を目の前で殺される。その痛みを味わわすためよ。それだけ貴女が憎いわ。あんなにバカみたいに信じてくれる存在がいて―――不公平だと思わない?」
 それは私にとって一生の節目を突く言葉。
 ごめんなさい、と千年謝っても許されることは無いだろう。
 あの妖美の化身を殺したいほど愛している、と自分自身に嘘をついた、あの冬。
 今思えば、妹の方がよっぽど素直に、一直線に竜胆と接していた。
 そう言う私はどうだった?
 強がるだけ強がった挙句、何も出来ず、残り少ない竜胆の命に触れることすら出来なかった。
 手ではない、心で。
 やがて激しい光が眼を貫き、視界を奪う。
 蘇った視力は、宙を舞う妹の右腕を捉えていた。
 私は呟いた。
 ほら、また何も出来なかった、と。

 ◇

 ◇

 ◇

「しずく・・・雫・・・!」
 空気並みに聞き飽きた声で、私は目を覚ました。
 いつもより背が高い。手首と足首に痛みも感じる。
 何より四肢が動かない。
 私は片目で、その様子を視認した。
 金網が体を絡め、自由を奪っていた。
 力めば食い込み、さらに自由を奪う頭のいい絡ませ方だった。
「遅かったわね、牡丹さん。雫さんはこのとおり私の虜」
 言いながら、私を刃の先で指す。
 牡丹は鼻で笑うと、中指を立てて、巫女らしからぬ言葉を吐いた。
「その程度のピンチで根ェあげるようじゃ、私の相方じゃないッ!」
 牡丹、タンカ切ってるところ悪いけど、悪いけど人生最大のピンチだわ。
 よく見れば変な触手が私の胸貫いて、鬼獣少女の尾と繋がってるし。
 多分、力、吸われてるわね。さすがにそれは・・・死ねる。
「言うじゃない、牡丹さん。だけど、それが囮だって、お見通しよ♪」
 そう言い、鬼獣少女は鎌と化した腕を天と地に振るった。
 地はコンクリートを切り裂き、その下に居た鬼少女を打ち、天は空気ごと赤髪の少年を弾いた。
「桜駆くん! 椿!」
 牡丹の悲鳴にも似た叫びが響く。弟とその相方の覇鬼だ。どうやら加勢に来たらしい。
 だけど、どうやら、それも無駄だったみたい。
 仲直りしてから弱くなったわね、桜駆のヤツ。
「姉さん・・・!」
 桜駆が私に向かって何かを投げつけた。
 それはまるで意志を持っているかのように、私の懐へと収まった。
 その瞬間、意識が再び時をはみ出した。

 ◇

 ◇

 ◇

 決着を見て、私はそれぞれの意志が交錯する場所へ降り立った。
 右からは嘆きの声、左からは悲しき視線。
 それらをこの身で受け止め、感じてから静かに息を吸った。
 そして左を向き、妖しき獣に冷たい声を浴びせる。
「ほら、トドメさしなさい。そして食らい尽くしてやりなさいよ、私の妹を」
「!」
 聞こえたのは竜胆の嘆息。
 その意味は2つ。1つは、私が、竜胆が妹を付けねらう理由を知っていたことだろう。
 牡丹から聞いた話だが、彼女は命を繋ぐのに必要な忍者・・・すなわち、山の民の力を得た血を欲しているのだ。だけど、そんなことは1割にも満たない。
 重要なのはもう1つ。そのもう1つは。
「貴女はいつもそうやって私を苦しめるのね」
 苦しそうな笑顔だった。
「苦しめるも何も、私は事実を言っているだけ」
 言いながら、いつも以上に冷酷な顔を近づけてやった。
 ホントは笑顔を見せてあげたかった。
「出来ることなら、私がその息の根、止めてあげたいけど」
 運命が彼女を殺す前に。
 その言葉を受けて、竜胆はか細い声で答える。
「雫に殺されるなら私、とても本望」
 言われて私の腕が背に隠れる。
 躊躇ってしまった。そう、覚悟がなかった。
「・・・全て愛しかった」
「・・・・・・殺すには惜しい性格してるわね」
 答えでもなんでもない、嘘にもならない強がりをする。
 それを見破ったのだろうか。
 竜胆は背と耳を包む翼を引きちぎり、哀しい姿を見せた。
「見て、雫。今の私、人間みたいでしょう」
 幸せそうな、恍惚とした声で言う。
 この時ほど人間という言葉が汚く思えた瞬間はない。
 いや、だからこそ。
 これ以上に綺麗な人間を、見たことがなかった。
「キレイじゃない・・・!」
 震える唇を隠そうともせず、私は言った。
 手が自然と彼女の頬に触れていた。
 枯れたはずの涙も蘇り、私の目蓋を熱くしていた。
「珍しいこともあるのね、褒めるなんて」
 竜胆の手が重なる。とても冷たい。
 その手が、笑顔が、全てが、私の判断を鈍らせる。
 私は妹とその相方の方を見た。
 そちらには死を待つ妹の姿・・・一度、私が殺した命。
 どうすればいい、どうしたらいい。
 妹を助け、竜胆も助けたい。
 どうすればいい、どうしたらいい。
 何が助けることなのか。
 繰り返す堂々巡りが、私の中に妙案を生んだ。
「竜胆、残りの力、私に預けてくれない? 妹を救うために・・・」
 そうだ、そうすればいい。
 私が彼女の力を通して、妹の体を治す。
 さらに彼女の力が私に刻まれてくれるに違いない。
 だけど竜胆は眼で拒否をした。疑問符とともに。
「私があの女のために?」
 思いもよらぬ返答だった。
 私は反射的に答えた。
「イヤならいいのよ。どうせ1人になるだけだから」
 そう、1人になるだけ。
 牡丹とか桜駆とか、そんなんじゃない大切な存在を失うだけ。
 だけど、今思えば、この言葉はあまりにも狡猾な言い様だった。
「どうせ死ぬなら私のために死になさい」
 と、言ってるようなものなのだから。
 可能ならば、この時の台詞を書き換えたい。 
 それが叶わないならば、再び会って伝えたい。
 ごめんなさい。
 素直じゃない私が馬鹿でした。
 ごめんなさい。
 本当は私があれ以上、傷つきたくなかっただけでした。
 ごめんなさい。
 誰よりも貴女のことを想っていました。

 ◇

 ◇

 ◇

 ・・・キィ・・・ン・・・
 私の懐に入り込んだ何かが鳴り響き、私の時を正常に戻した。
 鞘に収まった、品のある短刀だった。
「この感じ・・・懐かしいかも・・・」
 私は自然と呟いていた。
 暖かく、妖しく、強い感覚。
 私が求めている全てが詰まっている気がした。
「・・・ふん・・・!」
 私はわずかに動く背を仰け反らせ、触手が刺さる小さな胸を張り、小刀を宙へ舞わせた。
 目の前に来たところで顔を突き出し、それを咥える。そして上の犬歯を柄に突きたて、顎をずらして顔を振り、鞘を外した。
― これがただの懐刀だったら、桜駆のやつ、骨が砕けるまで殴ってやる・・・
 わずかな疑念を抱きつつ、やがて現れた刀身を見る。
 その瞬間であった。
 胸の奥にしまっておいた力が痛いほど暴れ始めた。
「・・・この感覚・・・まさか・・・!」
 暖かく、妖しく、強い感覚。
 それが膨れ上がり、いつしか私と1つになった。
「なにっ・・・つぁっ!?」
 鬼獣少女の狼狽と悲鳴が轟く。
 直後、背から吹き生まれた翼が触手と金網が四散させ、私を空へ導いた。
 その翼は鮮やかな桜色をしていた。
「雫!」
 私に向けて、牡丹が戦斧を投げつける。
 一直線に向かって飛んできたそれを、私は先端に小刀を突き立てて受け止めた。
 それは1つとなり、斧を変貌させた。
「あれは大筒・・・!」
 牡丹とは違う鬼女が呟くように叫ぶ。
 その直後、桜駆がコンクリートに腕を突きたて、うねらせ、鬼獣少女の足を絡める。
 それはパニックと併せて、少女の自由を奪った。
 私は斧の柄だった先を、最悪の鬼獣に向けた。
『しずく』
 生まれた引き金に指を乗せた瞬間、あの声が、あの愛しさが、小柄を通して伝わる。
『私の力、今こそ解き放って』
「・・・そんなことをしたら・・・」
 そんな、そんなこと、したら、私、また1人に。
 力だけでも、いつまでも感じていたいのに。
 それとも、私と居るのが嫌になった・・・?
 だとしたら私はもう、絶望するしか。
『そういうわけじゃない』
 控えめな妖しい笑みを含みながら、彼女は言った。
『また始まるの、私と貴女の物語が。ゼロから、ね』
「・・・・・・もし、それが嘘だったら・・・・・・」
 この世界ごと、アンタを壊しつくしてやるんだから。
 私は久しくなかった笑みを浮かべ、引き金を引いた。
 大砲と化した斧は咆哮を上げ、眩しすぎる白を鬼獣へ解き放った。
 やがて翼と光が消えた時、私たち以外に残ったものは。
 世界と、学校と、2人の少女だった。

  

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